今大切な人がいるあなたへ「そこにいるの?おじいちゃん」
今大切な人がいるあなたへ「そこにいるの?おじいちゃん」
祖父は私が中学1年生の時に亡くなりました。
大好きだったおじいちゃん……。
今回はおじいちゃんが亡くなった時の不思議な体験についてお話したいと思います。
おじいちゃんとの思い出
祖父は建築系の会社社長でした。
小学生の頃セロハンテープの台を作るという夏休みの宿題を手伝ってくれたこと。
茨城の海によく連れて行ってくれて海の家で美味しそうにビールを飲んでいるおじいちゃん。
綾小路きみまろのライブ録画を一緒に見たり、北酒場という演歌を一緒に歌ったり…。
思い出したらキリがありませんが、小さい頃の祖父の印象は優しくて、タバコの匂いがして、いつも笑っていて背が高くて、10歳まで父親がいなかった私にはお父さんのような存在でもありました。
中学一年生 梅雨
何年か入退院を繰り返し病気と懸命に戦いましたが、最期は祖母に見守られながら亡くなりました。
大好きだった祖父が亡くなったという知らせを受け当時13歳中学一年生だった私は両親に連れられ病院へと向かいました。
冷たくなった祖父…。
泣き叫びそうでしたが泣けませんでした。
涙を見せたことのなかった母と祖母が泣いていたからです。
ああ…、もう会えないんだな…
と、もっと色々な感情があったとは思いますが、13歳とはいってもまだまだ子供。
その時の私は言葉で表現するにはそれが限界でした。
おかえり
祖父を連れて帰りました。この時の記憶はショックだったのかあまりありません。
ただ、いつもの布団にいつも寝ていたように祖父が横になっていました。
『今日はじーちゃんと一緒に寝る?』
母に言われ、うん、と頷きました。妹と私と祖父と一緒にその日は寝ることになりました。
私はなんだか寝付けず、起きて祖父との思い出をゆっくり考えていました。
時刻は午前2時を過ぎた頃薄暗い真夜中でした。
少し喉が渇いたのでリビングに向かおうかと立ち上がったその時でした ━━・・・
一斉に家中の明かりがついたのです。
祖母
父
母
妹
私
叔母
叔父(弟)
従姉妹
叔父(兄)
9人家族 3世帯大きめの家に住んでいました。それぞれの家族の部屋・トイレやお風呂すべての明かりがつきました。
家族達が起きて、みんなで
『おじいちゃんだね』
と言い合いました。お化けや、怖い話はもっぱら苦手な私でしたがこの時だけは本当に嬉しかったです。
きっと、私が1人で起きていて暗い中歩こうとしていたのを心配して見ていてくれたのかなと、きっとそうだと思っています。
親戚の子供
49日となり、親戚がお線香をあげにきてくれました。
4歳になる男の子が家に上がるとこう言ったのです。
『さっきねー、お庭に青い服の人がいたよ』
青い服…、祖母がすぐにタンスを開けて青いツナギを出しました。
『これかい?』
『うん♪』
祖父の物でした。
私でさえ、あまり記憶にないような祖父が若い頃に着ていた作業服でした。4歳の子供が知る由もないものです。
祖母は嬉しそうでした。
そうかい…そうかい….
と何度も頷いていました。
見守ってくれている
それからというもの、家族は祖父の夢をよく見るようになりました。
高校入学試験の前、何か心配事がある時。
家族の中心的存在でみんなから愛されていた祖父。
私たちの思い込みや祖父にもう一度会いたい気持ちから夢を見ているのかもしれません。
…。
大切な人はいつ居くなってしまうかわかりません。
祖父は病気でしたがどこか、居なくならない気がしていました。
ずっと、存在してくれていると思っていました。
ちょうど敬老の日があり、次の週に病院に行く際に何かプレゼントを持っていこうと思っていました。
しかし、プレゼントを渡す前に亡くなってしまいました。
毎年欠かさず渡していたのにその年だけは渡すことが出来ず、そのまま会うことも出来なくなってしまいました。
このことは未だに後悔しています。
…
大人になってお酒を一緒に飲みたかった。
孫の顔を見せたかった。
恩返ししたかった。
もっともっと色々なことを聞きたかった…話したかった…。
大好きだったおじいちゃんはもう居ません。
でもきっと、きっと、祖父は見守ってくれていると思います。
大丈夫だよ!頑張ってるよ!だから、そっちでゆっくりしててね!と祖父に伝えるため今日も頑張れるのです。
今大切な人がいるあなたへ
今日この記事を読んでくださってありがとうございます。
感じてくださったことがあるなら、その大切な人を、一緒の時間を思い出を今よりもっと大事にしてあげてください。
その人との時間、思い出…
それはその瞬間しかない、本当に、本当に、かけがえのないものです。
他の記事も読んでください→ゅ。さんの記事一覧
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません